INTERVIEW

僕らが気づけてないことって沢山ある

DOOR5期生
後藤 陸(ごとう りく)さん

DOORを受講したきっかけは?

家の近所でたまたまDOORの受講生募集のポスターを締め切りギリギリに見かけたのがDOORを知ったきっかけでした。

現在、パラスポーツの支援や普及を通じて世の中を変えていこう、共生社会を作っていこうというビジョンで活動している財団に勤めています。その中でウェブメディアの運営をしているのですが、共生って何だろうとか、先入観から自由になることをどういう風に伝えたらいいんだろう、ということを突き詰めて考えることが多かったんです。でも、自分は障害当事者ではないし、これまで接してきた方々と比べても自分自身の経験値もないから汲み取れるものが浅いなという限界を自分の中で感じていて。

もっと違う角度でそういうことについて考えてみたい、そういうきっかけや場を欲していたというのが自分の中でありました。元々、美術館を廻るのが好きだったので、アートの文脈から触れることができるのもいいなと直感的に思うところがあって。

自分の触れるものがクロスするところにDOORが現れて、それで受講してみようと思いました。

後藤さんが受けていた選択授業について教えてください。

僕が選択したのはアクセスデザイン基礎でした。

僕が今の職場に入った時はイベントを行う仕事をしていて、イベントに障害当事者が方しっかり参加できるよう準備することを心がけていました。実際にイベント会場に当事者の方のための場作りをすることもあったんです。例えばスロープを用意したり、手話通訳と文字起こしで情報保障をしたり。そういう経験から、アクセスを確保するということは自分の中にも意識があったし、それを再確認させられながらも新しい視点も得ることができました。

授業の内容が自分のこれまでと地続きになり、これからに広げてくれたという感覚が、すごく印象的でしたね。

必修講義の中で印象に残った授業は?

ケア原論の奥田知志さん(NPO法人抱樸 理事長)の講義では、「社会的処方」や「孤立」という概念が自分の中で心に残りました。世の中には多様なバックグラウンドや要素を持った人がいるのに、それが知られていない。僕らも学び取りにいかないとそういう方に対する視点、眼差しを持つことができない。繋がる人がいないゆえに見過ごされがちな部分を引き起こしているのかなという気がしていて。自ら開かれた場所にしていくという姿勢を示すことが世の中にとっても意味があるし、社会全体を見つめる上でも大事なことだという再確認が出来た気がしています。多文化共生とか経済格差とか、自分が関わってきた身体の障害以外のこともしっかり考える機会をもらえたのはすごく良かったです。

また、飯田大輔さん(社会福祉法人福祉楽団 理事長)のケア・介護についての概論講義も凄く面白かったです。飯田さんは、プロフェッショナルとしてしっかり知っておくべきことを極めて真摯に伝えてくれたと思います。ケアって、介護ってそもそも何だっけ、というところから飯田さんが問いかけてくれたからこそ、馬場拓也さん(社会福祉法人愛川舜寿会 常務理事)の地域とつながる福祉の実践についての講義の厚みもすごく増したと思います。そういう相互作用がDOORの授業の中であった気がして、こういうリレー講義形式のすごくいい形だと思いました。

僕の職業柄、栗栖良依さん(認定NPO法人スローレーベル 理事長/プロデューサー)の講義も印象に残りました。彼女は、観客として多様な人が参加できる状況を整えるのはもちろんだけども、仕掛け人や演じ手などイベントを作る側にもダイバーシティが担保できるような仕組みを整えていかないといけないということをおっしゃっていて。そこが自分の中でも意識していなかったと、背筋が伸びる思いでした。

ケアって一方的な関係になりがちとよく言われますよね。ケアする側とされる側という構造はどうしても生まれてしまうかもしれないけれど、そういう関係にとらわれて考えてはいけないと思っていて。障害がある人ってケアされる側だよね、というのも先入観のひとつで、彼らだってケアする側になることも決してゼロじゃない。そういうものだよなということを改めて教えてもらった気もしています。人と関係を結ぶときに、ケアという目線から離れても大切にしていかないといけないことかなと思いました。

DOORの授業を受けてみて感じたのは、何か伝えるにしても自分が伝えようとしているものからこぼれ落ちてしまう部分がないかということに意識的になった方がいいし、一気に伝えるというのはやっぱり難しいということ。自分が今は何を汲み取っていてここは汲み取れていない部分があるかを自覚するだけでも違う気がしていて。

いかに自分の思考に対して広く意識を持つか。自分が見えてないものがあるということにいかに意識的になるかということはすごく大事な視点だと感じています。

分かった気になっちゃいけない、という部分は一番大事なことなのかもしれない。「分かる」ということは永遠にない。分かろうとする姿勢をもつことが「分かる」ということに近いのかもしれない。DOORの最後のレポートにもそういうことを書いたと思います。

-受講中のお仕事とのバランスはどうでしたか?

若干、他の受講生の皆さんと比べてイレギュラーだったかもしれないです。 受講していた年(2021年)が忙しさのピークだったのですが、思い立った時が始めどきだなと思い、あまり後先考えずにDOORを受講しました。実際、忙しくオンラインの授業でも受けられなくなってしまったタイミングはありました。 その時期は夏期集中講義の期間で必修授業はなかった時期だったんですけど、申し込んだけど一度も出れなかった授業があったのは残念でした。本当は人体デッサンの授業も取りたかったです。アートに触れられる授業があるのがこの講座を受講する時にすごく魅力的だったので。

仕事と受講を両立できたかというと、60点ぐらいかなという気がしています。オンライン授業については、仕事はテレワークが多いこともあり、そこに対するアレルギーはありませんでした。DOORはオンライン授業のシステムをしっかりと組んで下さっていましたし、授業開始5分前まで仕事をしていてもとりあえずポチッとZOOMを開けば授業に参加することができました。受講生の皆さんは画面をオンにされていましたけど、オフにしていても決して参加できないわけではなく、ある意味ゆるく参加できる環境を作っていただいていたのが非常にありがたくて。必修講義には結構出れたと思っています。

これからDOORを受講する方には、割と気軽に入ってきていいんだよということを伝えたいです。

授業の録画配信をしていただけるし、エネルギーを持ってガンガン学びたい方にも、ジョギングペースでやっていきたい方にも扉が開かれている。基本コースだけでもオッケーだけど、基本コースに選択科目という違う品を載せるられるというようなところもすごくいいところだなと思います。

一年を通して楽しかったし、充実感を持って終われたな、良かったな、と振り返っています。

DOORでの学びで、普段のお仕事や生活の中で生かされている・影響を与えていることはありますか?

仕事でいうと、東京パラリンピックというパラスポーツ界のビッグイベントが終わり、新たに目指すものを探すフェーズに来ていて、そういうものを考える時にDOORでインプットしたことがすごく大事な気がしています。

改めて、障害って何だろうということを考えることって結構多いんですよ。そういう時にDOOR の授業のことを思い出すことがあります。最近、特別支援学校に取材に伺ったときのことが印象に残っています。学校にパラアスリートが行って、重度の障害がある子たちと車いすバスケットボールのプログラムを行うという場だったんです。

パラスポーツの教育では、健常の子を対象にした実践が注目されてきました。でも、障害当事者の子どもたちにパラスポーツをどう伝えるのかということは、あまり問いかけがされてこなかったように思います。麻痺の重い子に対して先生が「この子にはスポーツは難しい」と判断してスポーツをさせる機会を与えようとしない、という話も聞きました。僕も問題意識を持ちつつも、答えのイメージがはっきり湧かないまま現場に臨みました。

当日は、学年も障害の程度も違う子たちが集まっていて。そこで、講師と先生で話し合って、その日は普段のプログラムとやり方を変えて、それぞれが自分なりの楽しみ方を見つけてくれたらいい、というコンセプトにしたんです。

障害が比較的軽く自力で競技用車いすを動かせる子は、楽しくってどんどんシュートを打つ。一方、地面における低い高さのゴールも用意して、麻痺の重い子も介助の人の手を借りてシュートできるようにしました。そうすると、どの子もちゃんとプログラムに参加することができて、話すのは難しい子もすごく楽しそうな表情をしてくれて。体格の小さい子や、電動車いすに乗っていて競技用車いすを自分で動かすのは難しいと言われていた子が、自分から乗りたいと競技用車いすをスイスイとこぎ始めたのには、普段子どもたちと接している先生もすごく驚いていました。

障害のある子どもたちに「これは難しい・できないだろう」というフィルターをかけてしまいがちなことに気づかされました。もしかしたら、障害のある子どもたちは、その境遇に対する周囲の固定された見方ゆえに、本来持っている身体的感覚を育んだり、スポーツという文化に触れる機会を普段得られていないのかもしれないと、ハッとさせられました。

でも、子どもたちにとってのスポーツの価値ってすごく大きくて、そこに障害のあるなしは関係ない。目一杯楽しむ子どもたちの姿から、 DOOR を受講して考えたのと同じように、分かった気にならずに、分かろうとすることが大事なんだな、と改めて感じたんです。

よく知っていると思っているものの中でもきっと僕らが気づけてないことってたくさんあるとすごく思いました。分かりにくいがゆえに気づけていないこと、反対に分かりやすいゆえに無意識に壁を作ってしまっていることがある。一面的にならずいろんなバックグラウンドがあるという前提に立たないといけない。

DOORの授業で見たいろんな要素がスッと自分の中を駆け抜けていくような瞬間がある気がしていて、今までだと立たなかった場に自分の中のアンテナが立っています。

あちこちに学んだことが実になるチャンスがあるのかなという気がしていますね。

 

2022年8月
聞き手:新妻葉子(DOORスタッフ)
撮影:北沢美樹(DOORスタッフ)