1962年兵庫県生まれ。3歳で右目、9歳で左目を失明。18歳で失聴し全盲ろうとなる。
1983年東京都立大学(現・首都大学東京)に合格、盲ろう者として初の大学進学。
金沢大学助教授などを経て、2008年より東京大学教授。盲ろう者として常勤の大学教員は世界初。
全国盲ろう者協会理事、世界盲ろう者連盟アジア地域代表などを務める。
著書に『盲ろう者として生きて』(明石書店) 『ぼくの命は言葉とともにある』(致知出版社)など。
- 必修科目
- ダイバーシティ実践論
2019
5/13
ダイバーシティ実践論3「生きることと語ること」
講師:
福島智(東京大学 先端科学技術研究センター 教授)
福島さんは盲ろう者として世界初の常勤の大学教員で「バリアフリー分野」を専門とする研究者。昨年度に引き続きご登壇頂きました。
福島さんは赤ちゃんの時は片方の目が見えていて、小さい頃は夜空の星や宇宙が好きでした。9歳で完全に目が見えなくなり、盲学校では生徒同士の関わり、先生から少人数制で丁寧に授業、軽音楽部に入ったり、スポーツをしたりと聴覚を活かし充実した校生活を送ったそうです。
高校2年生の時、耳が聞こえなくなりました。盲ろうの状態です。テレビでいうと、スピーカーもモニターも付いていない状態。匂いや感覚はあるけれど、周りの状況がまったくつかめない。何故そもそも生きているのか、自分の状況の理不尽を恨んだといいます。そのなかで、どんな状況でもなったことに意味はあるんだ、苦悩の中で生きている人はいる、命を与えられていることを大事にしようと、自分を言い聞かせたそうです。
盲ろうになって起きることがもう一つあります。それは他者とコミュニケーションが極端に困難になったこと。コミュニケーションが自由にできないというのは本当に辛く、自分がこの世界から消えてしまうような感覚でした。そんな中、福島さんのお母さまが発案した指点字によって、他の人の発言がわかるようになったそうです。
福島さんにとって、コミュニケーションをとることが、自分の生存を確かめ、相手の生存を確かめる唯一の方法であり、大切なことであると言います。
「私にとって生きるということは、語り合うことであって、広い意味での語り合い。そして語りあいがなければ、自分の生存も相手の生存も確かめられない。そしてかつて生存していた大切な人が心の中で生き続けることもできる。それは生きている人間として、大事にすべきことではないか。」
という言葉に強く心を揺さぶられました。
福島さんは赤ちゃんの時は片方の目が見えていて、小さい頃は夜空の星や宇宙が好きでした。9歳で完全に目が見えなくなり、盲学校では生徒同士の関わり、先生から少人数制で丁寧に授業、軽音楽部に入ったり、スポーツをしたりと聴覚を活かし充実した校生活を送ったそうです。
高校2年生の時、耳が聞こえなくなりました。盲ろうの状態です。テレビでいうと、スピーカーもモニターも付いていない状態。匂いや感覚はあるけれど、周りの状況がまったくつかめない。何故そもそも生きているのか、自分の状況の理不尽を恨んだといいます。そのなかで、どんな状況でもなったことに意味はあるんだ、苦悩の中で生きている人はいる、命を与えられていることを大事にしようと、自分を言い聞かせたそうです。
盲ろうになって起きることがもう一つあります。それは他者とコミュニケーションが極端に困難になったこと。コミュニケーションが自由にできないというのは本当に辛く、自分がこの世界から消えてしまうような感覚でした。そんな中、福島さんのお母さまが発案した指点字によって、他の人の発言がわかるようになったそうです。
福島さんにとって、コミュニケーションをとることが、自分の生存を確かめ、相手の生存を確かめる唯一の方法であり、大切なことであると言います。
「私にとって生きるということは、語り合うことであって、広い意味での語り合い。そして語りあいがなければ、自分の生存も相手の生存も確かめられない。そしてかつて生存していた大切な人が心の中で生き続けることもできる。それは生きている人間として、大事にすべきことではないか。」
という言葉に強く心を揺さぶられました。
講師プロフィール
東京大学 先端科学技術研究センター 教授