大学卒業後、日本テレビ入社。その後オーストラリアへ移り住み、西シドニー大学でPh.D取得。国際基督教大学、早稲田大学国際教養学部を経て2012年にメルボルンのモナシュ大学アジア研究所長に就任。2020年4月より現職。主な研究関心は多様性の包含と越境対話、文化シティズンシップ、パブリックペダゴジー。主な著書・論文として、『多様性との対話』(編著、青弓社)、Resilient Borders and Cultural Diversity: Internationalism, Brand Nationalism and Multiculturalism in Japan (Lexington Books)、『トランスナショナル・ジャパン:ポピュララー文化がアジアをひらく』(岩波現代ライブラリー)、『文化の対話力』(日本経済新聞出版)、Recentering Globalization (Duke University Press)など。多様な差異を平等に包含し誰もが生きやすい社会の構築に向けた学びと対話の批判的=実践的な取り組み方を模索している。
- 必修科目
- ダイバーシティ実践論
2022
12/19
ダイバーシティ実践論12「多様性との対話」
講師:
岩渕功一(関西学院大学社会学部教授・<多様性との共生>研究センター所長)
ダイバーシティ実践論第12回では、関西学院大学社会学部教授、<多様性との共生>研究センター所長の岩渕功一さんをお招き致しました。
近年「多様性(ダイバーシティ)」「多文化共生」などといった言葉が世界中で共有されるようになり、企業なども多様性推進の取り組みを行うことがもはや一般的となりつつあります。しかし、これらを安易に肯定的に語ることに岩渕さんは警鐘を鳴らしています。今回の講義では批判的に多様性について考えていきました。
多様性(多文化社会)を推し進める動きがまず始めにあったのは欧米社会です。9.11事件以降に移民の管理体制を強め、技術の高い移民などを積極的に受け入れる動きがありました。しかし、この多文化推進は結果的に移民を二分化させる結果となりました。社会に統合されやすい人は積極的に統合し、そうでない人は残されたままという状況になってしまったのです。
このような状況は、日本でも起きてしまいます。差異や違う文化を受け入れているように見えるけれども、極めて表面的な多文化主義である日本の状況を揶揄した「コスメティック多文化主義」という言葉も生まれていきました(Morris-Suzuki 2002)。
「「多様性(と共生)の奨励・達成をしよう」とよく言われるが、実際には多様性や共生の問題は常に・既にある。差別が日常的にあること、そして差別が人間の尊厳を損なわせる深刻な問題であることが社会で共有されていない」と、岩渕さんは提起されました。安直に多様性を奨励することは、構造化された差別や不平等を直視しないどころか、根本的解消に向けた行動を阻むことにもつながりかねないといいます。
しかし、個々人が意識を変えれば多様性・差別の問題は解消されるのでしょうか。岩渕さんはこれに対し、「個人の意識の向上はもちろん大事ではあるが、国レベルの変革も必要である」と語られました。社会もまた個人の意識につながっているためです。「差別というものは個人の中にあるのではなく、社会に構造化されている。なんらかの形で自分の中に内在化させてしまっているということに気づかないと意味がない」と語られます。
では、私たちは多様性の問題に対し、どうやって向き合っていけばよいのでしょうか。岩渕さんはそのヒントとして4つのキーワードを挙げられました。
まず一つ目は、批判すること。批判とは否定をすることではなく、土台から吟味し直すという意。迎合や無関心ではいないことが求められているということです。
二つ目は、学び捨てること(unlearn)。すなわちこれまで自分の中に積み重ねてきた学びや知を解体し乗り越えることです。自らの特権を再確認し、それによって自分が失ったものは多いと知ることにもつながります。
三つ目は、共感すること。これはつまり他者の苦難・生きづらさを自分ごととして想像し理解(しようと)する能力を発揮すること。「共感は出発点であり目的地ではない。共感の際には構造化された差別・不平等の認識に必ず結びつける必要がある」と岩渕さんはいいます。
最後に、連帯すること。連帯とは、立場・考え・価値観の違いを超えて横断的協働を行うことを指します。「さまざまな差別や生きづらさは、構造的につながっている。全ての差別・不平等を同時に解消することを目指した対話と協働が必要だとひとりひとりが認識することで、ゆるやかな連帯が可能になるのではないか」と話されました。
講義の最後は、「多様性との対話は、正解なき思索と実践の旅である」というSarah Ahmedの言葉で締めくくられました。今回の講義の時間は、受講生がまさに「多様性」を学び捨て、社会や自身の現状に向き合う出発点となったのではないでしょうか。
近年「多様性(ダイバーシティ)」「多文化共生」などといった言葉が世界中で共有されるようになり、企業なども多様性推進の取り組みを行うことがもはや一般的となりつつあります。しかし、これらを安易に肯定的に語ることに岩渕さんは警鐘を鳴らしています。今回の講義では批判的に多様性について考えていきました。
多様性(多文化社会)を推し進める動きがまず始めにあったのは欧米社会です。9.11事件以降に移民の管理体制を強め、技術の高い移民などを積極的に受け入れる動きがありました。しかし、この多文化推進は結果的に移民を二分化させる結果となりました。社会に統合されやすい人は積極的に統合し、そうでない人は残されたままという状況になってしまったのです。
このような状況は、日本でも起きてしまいます。差異や違う文化を受け入れているように見えるけれども、極めて表面的な多文化主義である日本の状況を揶揄した「コスメティック多文化主義」という言葉も生まれていきました(Morris-Suzuki 2002)。
「「多様性(と共生)の奨励・達成をしよう」とよく言われるが、実際には多様性や共生の問題は常に・既にある。差別が日常的にあること、そして差別が人間の尊厳を損なわせる深刻な問題であることが社会で共有されていない」と、岩渕さんは提起されました。安直に多様性を奨励することは、構造化された差別や不平等を直視しないどころか、根本的解消に向けた行動を阻むことにもつながりかねないといいます。
しかし、個々人が意識を変えれば多様性・差別の問題は解消されるのでしょうか。岩渕さんはこれに対し、「個人の意識の向上はもちろん大事ではあるが、国レベルの変革も必要である」と語られました。社会もまた個人の意識につながっているためです。「差別というものは個人の中にあるのではなく、社会に構造化されている。なんらかの形で自分の中に内在化させてしまっているということに気づかないと意味がない」と語られます。
では、私たちは多様性の問題に対し、どうやって向き合っていけばよいのでしょうか。岩渕さんはそのヒントとして4つのキーワードを挙げられました。
まず一つ目は、批判すること。批判とは否定をすることではなく、土台から吟味し直すという意。迎合や無関心ではいないことが求められているということです。
二つ目は、学び捨てること(unlearn)。すなわちこれまで自分の中に積み重ねてきた学びや知を解体し乗り越えることです。自らの特権を再確認し、それによって自分が失ったものは多いと知ることにもつながります。
三つ目は、共感すること。これはつまり他者の苦難・生きづらさを自分ごととして想像し理解(しようと)する能力を発揮すること。「共感は出発点であり目的地ではない。共感の際には構造化された差別・不平等の認識に必ず結びつける必要がある」と岩渕さんはいいます。
最後に、連帯すること。連帯とは、立場・考え・価値観の違いを超えて横断的協働を行うことを指します。「さまざまな差別や生きづらさは、構造的につながっている。全ての差別・不平等を同時に解消することを目指した対話と協働が必要だとひとりひとりが認識することで、ゆるやかな連帯が可能になるのではないか」と話されました。
講義の最後は、「多様性との対話は、正解なき思索と実践の旅である」というSarah Ahmedの言葉で締めくくられました。今回の講義の時間は、受講生がまさに「多様性」を学び捨て、社会や自身の現状に向き合う出発点となったのではないでしょうか。
講師プロフィール
関西学院大学社会学部教授・<多様性との共生>研究センター所長