写真家。1981年京都府生まれ。東京藝術大学大学院博士後期課程修了。
2016年『father』(青幻舎)、2021年『犬たちの状態』(太田靖久との共著、フィルムアート社)刊行。近年の主な展覧会、2021年「他人の記録」旧神谷伝兵衛邸稲毛別荘、2019年「同じ別の生き物」アンスティチュ・フランセ、など。
2019年から自分が書いた日記を声に出して読む「日記を読む会」を不定期で開催している。
- 必修科目
- ダイバーシティ実践論
2021
11/29
ダイバーシティ実践論9「他者を理解するとはどういうことか 〜理解と表現の関係について私自身の経験から考える〜」
講師:
金川 晋吾(写真家)
本講義では、写真家の金川晋吾さんに自身の父や伯母を撮影してきた個別具体的な経験をもとに、他者を理解するということや表現との関係について、お話を伺いました。
「他者を理解する」と聞くと、その人がどういう人間であるかを把握しようとすること、つまり相手のことを”捉えようとする”ことだと思う人も多いのではないでしょうか。金川さんは、捉えようとするのではなく「相手がどういう人間であるかを考えることを”手放すこと”によって得られる理解もある」と考えます。
金川さんが自身の父や伯母を撮影する中で、言葉だと上滑りしてしまっていたやりとりも、カメラのレンズ越しだと寛容に受け入れてもらえたという体験があったそうです。写真を撮るには対象と物理的に会わなくてはいけないけれど、接触するような距離で写真を撮ることはできません。写真を撮ることは対象と距離をとることでもあり、相手をこういう人間だと判断せず、こちら側の状態も宙ぶらりんのままで撮れることがあるのが写真である、と金川さんは語られます。
他者のことを描写や記述することは、他者を把握しようとすることであると同時に、把握することの手前でその他者のことを見続けること、見ることに留まることでもあると金川さんは語ります。また、見続けることとは、自分はあなたとずっと関わり続けるのだという決意でもあるのかもしれません。
「他者を理解する」と聞くと、その人がどういう人間であるかを把握しようとすること、つまり相手のことを”捉えようとする”ことだと思う人も多いのではないでしょうか。金川さんは、捉えようとするのではなく「相手がどういう人間であるかを考えることを”手放すこと”によって得られる理解もある」と考えます。
金川さんが自身の父や伯母を撮影する中で、言葉だと上滑りしてしまっていたやりとりも、カメラのレンズ越しだと寛容に受け入れてもらえたという体験があったそうです。写真を撮るには対象と物理的に会わなくてはいけないけれど、接触するような距離で写真を撮ることはできません。写真を撮ることは対象と距離をとることでもあり、相手をこういう人間だと判断せず、こちら側の状態も宙ぶらりんのままで撮れることがあるのが写真である、と金川さんは語られます。
他者のことを描写や記述することは、他者を把握しようとすることであると同時に、把握することの手前でその他者のことを見続けること、見ることに留まることでもあると金川さんは語ります。また、見続けることとは、自分はあなたとずっと関わり続けるのだという決意でもあるのかもしれません。
講師プロフィール
写真家