NPO法人 抱樸(旧北九州ホームレス支援機構)理事長
日本バプテスト連盟 東八幡キリスト教会牧師
NPO法人ホームレス支援全国ネットワーク理事長
公益財団法人共生地域創造財団代表理事
一般社団法人生活困窮者自立支援全国ネットワーク代表理事
一般社団法人全国居住支援法人協議会 共同代表
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1963年滋賀県生まれ。
1990年東八幡キリスト教会牧師として赴任、同時に、学生時代から始めた「ホームレス支援」を、ボランティアとしてだけでなく、教会の課題として継続し、北九州市において、3,400人以上のホームレスの人々を自立に導いたNPO法人抱樸(旧北九州ホームレス支援機構)の理事長としての重責を担う。
第19回糸賀一雄記念賞受賞など多数の表彰を受ける。
NHKのドキュメンタリー番組「プロフェッショナル仕事の流儀」にも2度取り上げられ、広範囲に活動を広げている。
著作に、「いつか笑える日が来る」(いのちのことば社)、「助けてと言える国へ」(茂木健一郎氏共著・集英社新書)、「生活困窮者への伴走型支援」(明石書店)等。
- 必修科目
- ケア原論
2020
10/26
ケア原論8「生きることに意味がある〜コロナの時代に人として生きる〜」
講師:
奥田知志(NPO法人 抱樸 理事長)
前回、前々回の講義テーマでもあった「津久井やまゆり園事件」を再び取り上げ、生きることや命の意味をお話しいただきます。
まずはコロナについて考えてみよう、と講義は始まりました。コロナが私たちに教えてくれたこととして、世界中が当事者になった、人間とは何かを考えさせられた、「命が大事」という当たり前に戻った、この3点を奥田さんは挙げます。今までは、災害が起きれば被災地とそれ以外の地域という関係で捉えられていましたが、今回は誰しもが感染しえる状況にあります。こうした状況で買い占めや医療関係者への差別が発生し、他者を忘れてしまうということも起こりました。ステイホームが成り立ったのはアウトホームで働いた人がいたからです。人は助けられないと生きていけない弱い存在であることが実感されました。
今、私たちが生きるのは、経済の格差が命の格差へ拡大している時代です。「津久井やまゆり園事件」はこのことをよく表しているのではないでしょうか。意味のある命/ない命という考えが生まれるもとには、お金になるかならないかという「生産性」という考えがないでしょうか。生産性の低い人はいなくなれという分断線は、実行犯の植松氏が事件を起こす前から社会の中に既に存在していました。彼自身、自分はあまり役に立たなかったと面会の際に奥田さんへ話していたそうです。事件を起こすことが社会の価値になると考えてしまったのかもしれません。生産性の証明をしなければ生きていけない世の中なのです。
障害福祉の父と呼ばれた糸賀一雄氏は「その人がその人として生きていくことこそが生産性である」と語っています。
もちろん綺麗事で済む話ではありません。重い障害を持つ娘の介護をしてきた母親は、この事件について「間違っている、私は不幸ではない。しかし大変だった。これは解って欲しい」と話しました。共生は大変です。ですが「不幸」と「大変」は違います。犯人はこの2つを同じに思ってしまったのではないでしょうか?
最後に奥田さんは受講者に宿題を出しました。「もし植松氏に会えたら、あなたは彼にどんな言葉をかけますか?」許せないという感情は当然ですが、ここで「大罪を犯した人は生きる意味がない」と言ってしまえば、それは彼と同じ言葉になるのではないでしょうか?この答えのない問いこそが命の意味だと奥田さんは考えます。生産性がないと生きてはいけないというような時代だからこそ、何が大事なのかもう一度考えていかなければなりません。
まずはコロナについて考えてみよう、と講義は始まりました。コロナが私たちに教えてくれたこととして、世界中が当事者になった、人間とは何かを考えさせられた、「命が大事」という当たり前に戻った、この3点を奥田さんは挙げます。今までは、災害が起きれば被災地とそれ以外の地域という関係で捉えられていましたが、今回は誰しもが感染しえる状況にあります。こうした状況で買い占めや医療関係者への差別が発生し、他者を忘れてしまうということも起こりました。ステイホームが成り立ったのはアウトホームで働いた人がいたからです。人は助けられないと生きていけない弱い存在であることが実感されました。
今、私たちが生きるのは、経済の格差が命の格差へ拡大している時代です。「津久井やまゆり園事件」はこのことをよく表しているのではないでしょうか。意味のある命/ない命という考えが生まれるもとには、お金になるかならないかという「生産性」という考えがないでしょうか。生産性の低い人はいなくなれという分断線は、実行犯の植松氏が事件を起こす前から社会の中に既に存在していました。彼自身、自分はあまり役に立たなかったと面会の際に奥田さんへ話していたそうです。事件を起こすことが社会の価値になると考えてしまったのかもしれません。生産性の証明をしなければ生きていけない世の中なのです。
障害福祉の父と呼ばれた糸賀一雄氏は「その人がその人として生きていくことこそが生産性である」と語っています。
もちろん綺麗事で済む話ではありません。重い障害を持つ娘の介護をしてきた母親は、この事件について「間違っている、私は不幸ではない。しかし大変だった。これは解って欲しい」と話しました。共生は大変です。ですが「不幸」と「大変」は違います。犯人はこの2つを同じに思ってしまったのではないでしょうか?
最後に奥田さんは受講者に宿題を出しました。「もし植松氏に会えたら、あなたは彼にどんな言葉をかけますか?」許せないという感情は当然ですが、ここで「大罪を犯した人は生きる意味がない」と言ってしまえば、それは彼と同じ言葉になるのではないでしょうか?この答えのない問いこそが命の意味だと奥田さんは考えます。生産性がないと生きてはいけないというような時代だからこそ、何が大事なのかもう一度考えていかなければなりません。
講師プロフィール
NPO法人 抱樸 理事長