INTERVIEW

愛のある「放置プレイ」

DOOR3期生
梅澤 庸浩(うめさわ のぶひろ)さん

― なぜDOORを受講しようと思ったのですか?

藝大アートプラザオープンの広告、「ピッカピカの1年生」でした。仕事で調べものをして いて、偶然このホームページがヒットしたんです。藝大の門の前で、澤和樹学⻑や日比野克彦美術学部⻑が、小学校1年生の格好をして立っているという、とんでもないビジュアル。 そのページに、DOORの情報がありました。

だから、たまたま出会ってしまった、出会いがしらの衝突みたいなものです。

日比野さんのアート活動は昔から知っていました。そしてキーワードがアート×福祉 。その切り口に興味を持ちました。何だろうこれは。で、やってみようかなと。

ホームページの情報を読んで、そのまま願書を書いて出願しました。公開講座やガイダンスにも1回も行かず、実はチラシも見たことがありません。ノープランでしたね。

私、もうすぐ還暦なんです。だから人生二毛作というか、「生涯学習のつもりで受講を決めた」などというお答えをするととてもわかりやすいんですが、実際はそうでもなかったのです。

でも、入ってから受講生の方とお話ししてみると、そんな感じの方が多かったですね。何かを学ぼう、成し遂げよう、資格や知識を得ようという明確な目的を持った人は、意外に少なかったように思います。

 実際、自分でも、どうしてやってみようと思ったのかな?とは考えていました。それが腑に落ちたような気がしたのは、ある授業の中でした。つまり、「引力」だったんです。

― 引力、ですか?

残りの講義も数回となった1月頃だったかな、野澤和弘先生が登壇した、ダイバーシティ実践論の授業の中で出てきた言葉です。

東大では、この先生の授業に、学生が学部学年関係なくボーダーレスで参加してくるそうです。予想しなかった人も受講している。「なぜ?」と訊いても明確な答えはない。そのことを、先生が「引力だ」とおっしゃったんです。今の社会や学びの中で、何かが足りないとか、 違和感を持っている人がいる。そういう意識が結びつくのが、福祉やアートの持つ引力なんだろうと。

1年間受講して今振り返ってみると、やはり自分もその引力に惹きつけられていたんだなと思います。

毎週月曜日のダイバーシティ実践論・ケア原論には、このほかにも様々な分野の第一線で 講義がありました。この講義、言い方がちょっと適切じゃないかもしれませんが「放置プレイ」だったんですよ。

― え?放置……?

初回の授業の時、何らかの助走があると思っていたんです。だって大学の授業でしょう。 アートとは何か、福祉とは何かみたいな「前振り」やガイダンスみたいなものがあると思っていたら、いきなり授業がはじまった。しかも講師は、障害のある方々が作る雑貨専門のセレクトショップ「マジェルカ」の代表藤本光浩さん。大学の授業なのに、アートの研究者でもない、福祉関係の行政担当者でもない、いきなりの現場の当事者です。とても驚いたのですが、その後も基本的にはずっと、当事者が講師となって自分の体験や経験を語っていくというスタイルのカリキュラムが組まれていました。その分野も多岐にわたっていました。これはすごい試みだと思いました。

当事者のことばは、痛みを持っています。たとえば、ホームレス支援はお金をあげたらそれで解決するのか?しませんよね。ランドセルを匿名でプレゼントする人は、受け取った子どもが「こんなのいらない」と言ったとしても、その場にいないから傷つきませんよね。つまり、善意の気持ちから支援をしていても、支援されている人と本当の意味で出会ってい ないことも多いのです。しかし実践者・当事者は、現場のナマの声を知っている。実際に出会うことで傷ついている。そういう一次情報を持つ人から、同じ教室空間にいて話を聞ける。 それは、心地よいだけではなく、時には刃として切り付けてきました。

僕は編集の仕事をしています。この業界では、編集者まで当事者の言葉が直接伝わること は少なく、関係者が間に入ってバイアスがかかってしまったりすることが、しばしばありま す。だからこそ、身体で感じられる一次情報の貴重さを知っています。DOORの授業は、その宝庫だったんです。

藝大の教員のみなさんも、意図的に介入しないようにしていたのではないでしょうか。最初に挨拶して講師を紹介してバトンタッチ、最後に5分くらいまとめるだけでした。その立 ち位置が良かったと思います。これは「考えるのはあなたたちですよ」というメッセージだ と、僕は感じました。だから、悪い意味ではなくて、「愛がある放置プレイ」なんです。

― グループワークの活動はいかがでしたか?

必修科目のほかに、選択科目の美術鑑賞実践演習やアートプロジェクト実践論などを受講しました。こうした講義は、気づきや考え方のヒントを得る、いわば目や耳になるものです。 その次に一歩踏み出して手足を付けて行くのが、グループワーク(ワークショップ)だった と思います。

プログラム実践演習では、当事者屋台をつくりました。店⻑になりたい人が手をあげてテーマをアピールして、受講生は自分の行きたいところに参加します。10 人くらいがプレゼンをしたのですが、その中である女性のテーマが心に突き刺さったんです。「自分はこれまで後悔ばかりで、それに縛られて抜け出せない」という訴えでした。集まったメンバーは、うちの息子と同世代の女性2人と芸大を卒業しアーティスト活動をしている男性1人、そこにジジィの僕が1人でした。

この女性は、たとえば「もっとよく考えてから引っ越しすればよかった」などのたくさんの後悔に絡みつかれて、動くことができないのです。その彼女の後悔をひとつひとつ溜息の風船にしました。風船の糸は複雑に絡み合って、彼女にまとわりついています。その糸を、 話しながらひとつずつほぐしてもらう。ほぐれたら、ほぐしてくれた人に「私も引っ越しで苦労しましたよ」などとメッセージを書いてもらって、「後悔むすびどころ」の木に結んでいくとい うものです。

この形になるまでの過程が面白かったんです。最初は相談所みたいなものを考えていたんですが、「悩みが絡み合っているっていう様子を、どう表現する?」とか、いろいろ話し合い ました。普段の仕事では出会わない発想がいっぱい出て、新鮮でした。相談はLINEでもやりました。僕はスピードに対応できずなかなか返信できないのですけど。

この屋台は好評で、道後アート 2019・2020「『ひみつジャナイ縁日』をつくろう!」に出展することになっていたんです。残念ながら新型コロナウィルスの影響で延期になってしまいました。昨日もそのことでみんなとLINEしていて、どこかでやりたいね、ゲリラ的にやっちゃおうか、なんて、話していたところです。

― ノープランで受講してみて、何か変わりましたか?

やはり、知識や技術を学ぶことが目的の講座ではなかったと思います。受講の前後で、自分のなかで何が変わったかと問われると、正直ないです。

ただ、自分が表現者として発信したくなりました。編集者ですから、自分が表に出ることは控えてきたんです。それが、ちょっと変わってきたかな。それが変化と言えば変化でしょうか。

何かをおこすタネを植え付けられてしまった、という実感はあります。何かが自分の中で発酵している感じ。これはきっとどこかで出てくるんだろうと思います。きっと DOORの受講生がお互いに酵母として影響しあって、それぞれが発酵しているんじゃないでしょうか。

発酵し続けると腐っちゃうから、何かやらないといけないですね。このタネをどう育てていくか、何かが育ちそうな予感があって楽しみです。