INTERVIEW

ちょっと変わったことをやっている授業

DOOR1期生/東京藝術大学美術学部先端芸術表現科学部生
荒川 弘憲(あらかわ こうけん)さん
 

東京藝大の学生さん、しかも受講時1年生だったんですよね? 

都立工芸高校出身でインテリアを学んでいたこともあり、卒業後は製造業に就職したんです。仕事は、アクリルディスプレイの工場で、デザインされた図面をもとに職人の手で間違いなく生産するという製造現場です。4年働いたのですが、やっぱり自分で何かつくりたいと言う気持ちが大きくなって、1年間勉強して藝大に入りました。

先端芸術表現科を選んだのは、モノをつくることに関して自由であるという印象があったからです。アートというと、扱う表現媒体がまず規定されていて、絵画をやる人ならキャンバスのなかで表現を模索しなくてはいけないというイメージ。でも自分がその当時興味があったのは、世の中に商品や建築、人のふるまいなどが風景として現れてくる表象や、その裏にある思考のようなものだったんです。社会のダイナミズムと噛み合う表現ができれば面白いだろうなと思っていて、それならアイデアがまず最初にあって、それから自分の扱う表現媒体を選択できる先端芸術表現科がいいなと思ったんです。

そういうことを考えていたので、藝大に入学して授業を選ぶときに、DOORに興味をひかれたんです。大学の単位にもなります。

福祉は、現代社会の大きなテーマの一つ。そういう社会学的なことを扱うコースとして魅力を感じました。芸術科目としてではなく。 

社会学、ですか?

実は我が家は六人兄弟の大家族であまり裕福ではなかったんですね。また両親は韓日の国際結婚家庭でもあります。日本社会の中ではやっぱり少数派で、社会の大変さを体感する場面もありました。社会のことはめぐりめぐって自分に影響があることだし、そういうことをもっと知りたいと思いました。社会学とは直接関係がなさそうな藝大の中で、これらのトピックがどのように扱われるか興味がありました。

授業には、藝大の学部生や院生など学生が何人も来ていました。僕と同じ学部1年生も何人かいました。でも、ほとんどは社会人です。圧倒されました。社会人受講生、特に女性のコミュ二ケーション力はすごかったですね(笑) もともと知り合いだった人もいたようですが、はじめて会う人にもどんどん声をかけていく。僕はあまり積極的な人づきあいができないので、最初のうちは引いていました。それがイヤだったというわけではなくて、「おお、これは入れないな」という感じでした。

でも、グループワークでは社会人も学生も一緒ですよね

1年間ひとつのグループで活動することになっていました。

全員と話してみて気が合った人とチームをつくるという日があったんですが、僕はその時行けなかったんです。で、当日欠席した人たちと一緒に1グループをつくりました。つまり「余りもの」のチームです。

でもこの「余りもの」チーム、一番チームワークがよかったんじゃないかと思います。

40代の男性で公務員の男性は、とにかく人の話をよく聞く人でした。みんながつまったときに「そういえば…」とゆっくり話しはじめる。すると、止まっていた流れが動き出すんです。30代の会社員の女性は、会社ではプロジェクトのマネジメントなどをやっているという人で、自分たちのプロジェクトをどう実現するか、そのために何をするのか、自分たちがいまどこにいるのかを常に的確に整理してくれました。藝大で陶芸で作品をつくっている大学院生は、哲学に造詣があって、時々深いことをボソッと言ってみんなが考えさせられました。藝大の1年生は、同級生だけど僕よりも5つ年下でとても和やかな人柄。みんな癒されていたのですが、その人なりの生きづらさを抱えていました。思い返してみると、このメンバーだからグループ活動のなかでの問題にじっくり考えることができたんじゃないかなと思います。

何かにつまったときに、じっくりそれと向き合える人たち。これって、グループワークだけじゃなくて、今の世の中に必要なことだなと感じました。もし僕が進行だけが早いチームにいたら取り残されたり、投げやりに思ったりしたかもしれません。

修了後1年後にみんなでビアガーデンに行きました。そのあとも、偶然会うことがあります。来年の卒展にも招待するつもりです。

そのチームで取り組んだワークショップは

テーマは「多様な人が同じ時間、同じ場所を共有するワークショップをつくる」。僕たちのチームがつくったのは、「疑似家族」です。

バラバラに5人を集めて、その中で父や母や祖母とかの役割を決めます。そこにもう一人の家族が帰って来ることになり、迎えるためにどうするかを家族で話し合う、という設定です。帰って来る「もうひとり」がいま遠くに住んでいる子どもだとすると、「玄関掃除しなきゃ」「ケーキつくって待ってる」「空港に迎えに行こう」など、いろんな案がでます。たとえば「空港で『お帰り、●●ちゃん』とカード掲げよう」というアイディアが出た場合は、そのカードもつくっちゃう。その話し合いの過程がワークショップなんです。

盛り上がりましたね。講評でもいい評価をもらいました。「その場に存在しない他者を入れることで、その人を経由した会話や作業が発生することが良い」と。つまり参加者が負担を回避しやすいんです。閉じた5人の中だけで会話をしていると、話の起点や着地点をやっぱりその五人のなかでやりくりしないといけなくて誰かに負担がかかるでしょう。

学生生活との両立はどうでしたか?

僕は新入生、DOORも初年度だったので試行錯誤もあり、修了できるのかと不安になったこともありました。僕の科の必修の方も忙しくて時間的にはハードでした。また、インプットすることがとても多かったので、レポートとか、ディスカッションの時間などで、学びを深められる時間がもっとあればよかったのかなと思っています。

藝大生はDOORのことを「ちょっと変わったことをやっている授業」くらいに思っていたと思います。藝大にはいくつか美術大学ならではの名物授業のようなものがあって、「アートとは世俗的なものではない」みたいな風潮も一部あると思います。そういうカッコいい授業に比べると、DOORは扱っている素材自体が社会に密接していて一見泥臭い。とんがっていないんです。ただ、僕は日比野先生が言われるように「生きることの全体が表現」だから、そういう泥臭さも芸術には必要だと思っているんです。

毎週月曜日のダイバーシティ実践論では、社会のなかにある赤裸々な事実を、当事者の方から直接聞くことができました。セックスワーカーの問題とか、精神病施設の中のこととか。「どうなっているんだろう」とは思うけど、聞きづらいし、なかなかわからないことですよね。高齢者の延命治療の是非についての授業は、科学的なデータで検証が積み重ねられていて、説得力がすごかった。あれはもう一度聴聞きたいです。

課外学習で行った静岡のNPO法人「クリエイティブサポートレッツ」も印象に残っています。知的障がいのある方の施設ですが、スタッフさんも無茶苦茶に働いている感じがないんです。居眠りしたりおしゃべりしたり。一緒に共同体として暮らしている不思議な空間でした。

社会の中には縦型の権力構造もありますが、レッツはそういう構造の社会ではない。こういう社会のあり方もあって、そこで何かがわかりやすく積み立てられていくこともないけれど、そのかわりに混沌として、おおらかな生のための空間がある。工場で生産性に追い立てられてきた僕にとっては、かなり衝撃的な経験でした。

これからの創作活動にも影響がありそうですね。

そうですね。今振り返ると強烈です。でもその時は何がなんだかわからなかった。そのうちに、こういうことがこれからの自分のテーマになるのかもしれないと思いました。

春から4年生、これから本格的に卒業制作がはじまります。構想中ですが、虫捕り網が景色のなかで増殖してしまったような作品を制作するつもりです。ちょっとありえない景色をつくることで、その場所からどんなリアクションが返ってくるのかそれを身体で感じながら、対話しながらやりたいなと思ってます。そうやって束の間ではあるんだけど社会の辺境みたいなのを作品でつくっていきたいと考えています。