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2018
6/18

当事者との対話9「孤立と薬物依存」

講師: 近藤 恒夫(日本ダルク代表)/田代 まさし(日本ダルクスタッフ、元タレント)
近藤恒夫さんと、田代まさしさんは、薬物依存症の人のための回復施設・日本ダルク(以下、ダルク)で活動しています。ダルクで働くスタッフは、ほぼ全員が薬物依存症の経験者。「先に薬をやめた人が、やめたいと思っている人をサポートする」が、ダルクの特徴です。

近藤さんは、覚せい剤取締り法違反で逮捕・起訴された際、裁判長に「実刑にして刑務所に入れてください」と伝えました。理由は「自分の意思ではやめられないことがわかっていたから」。執行猶予付きの実刑判決を受けて、社会に戻ることとなりましたが、その「やめられない」という告白をきっかけに近藤さんは覚せい剤を断ち、ダルクを設立しました。自らの経験から、薬物依存からの回復は「自力では回復できない無力さを正直に認めることから始まる」と近藤さんは言います。スタッフの田代さんも、タレント活動中に逮捕された時、「やめられる自信がなくても、会見でカメラに向かって「辞める」と言わざるを得なかった」と振り返り、近藤さんの「自分に正直で大丈夫」という言葉に励まされたそうです。

薬物依存になると、家族や友人と疎遠になり、逮捕されれば、仕事も解雇されます。刑期を終えて、社会復帰したくても、働く場所はなく、家族にも頼れない場合があります。立ち直るきっかけがつかめないストレス、連絡が取れる相手は刑務所で知り合った薬物の仲間だけ…こうした孤立が、薬物依存から脱することを難しくすると近藤さんは指摘します。厳しい処罰と、反省を求めるだけでは、クスリを断つことには繋がらない。依存は、薬物をやめられない「病気」であるという考え方のもと、ダルクでは、病気を「治す」、「立ち向かう」ためのプログラムを実施しています。田代さんの「ダルクではお互いが“見合っている”」という言葉に、孤立とは反対の、同じ問題を抱える仲間が声を掛け合って歩んでいく空気が伝わってきました。

ダルクの合言葉は「Just for today (今日1日だけを考えて生きる)」。明日はわからない。でも今日は薬をやらない。その「今日」を日一日、積み重ねていこう、という想いが込められています。

 

講師プロフィール

日本ダルク代表

近藤 恒夫

近藤 恒夫(こんどう つねお)
1941年秋田県生まれ。30歳のときに覚せい剤を覚えて以来、薬物乱用者となり、37歳で精神病院に入院。39歳のとき逮捕。半年の拘置所生活を経て執行猶予付き判決で出所。釈放後は回復を誓い、アルコール依存症者の回復施設の職員を経て、1985年日本初の民間による薬物依存者回復施設「ダルク」(現東京ダルク)を開設。以降薬物依存者の回復支援に尽力。2000年には研究機関「NPO法人アパリ」を設立。国家行政機関、法律家、医療者、研究者などと連携し、国内外の薬物問題に取り組んでいる他、学校や刑務所などでの講演も精力的に行なっている。1995年、東京弁護士会人権賞を受賞。2001年吉川英治文化賞を受賞。

日本ダルクスタッフ、元タレント

田代 まさし

田代 まさし(たしろ まさし)
1956年佐賀県生まれ。愛称「マーシー」。
24歳のとき、シャネルズ(後のラッツ&スター)のメンバーとしてメジャーデビュー。
デビューシング「ランナウェイ」が110万枚を越えるミリオンセラーを達成する。その後、お笑いタレントとして芸能界にも進出。その独特のお笑いセンスから「ダジャレの帝王」「ギャグの王さま」「小道具の天才」と言われ、数々のテレビのレギュラー番組を持ち、お茶の間の人気者に。しかし、2001年12月、覚醒剤の所持・使用で逮捕。その後、2004年9月、2010年9月と再び覚醒剤で逮捕され、刑務所へ。計7年間の刑期を終え、2014年7月に仮り出所。
現在は薬物依存からの回復と社会復帰を目的としたリハビリ施設「ダルク」で治療を受けながら、全国各地の講演会等で「薬物の恐さ」を勢力的に伝える活動を行っている。